2/5院内集会「みんなの国立女性教育会館を壊さないで! 」 から、本田由紀さん(東京大学大学院教育学研究科教授)による問題提起の概要です。日本のジェンダー不平等について、たくさんのデータをもとにお話しくださいました。元になった資料は、著書『「日本」ってどんな国?——国際比較データで社会が見えてくる』(ちくまプリマー新書)第2章「ジェンダー」でも紹介されています。
日本社会全体の状況を考えた場合に、国連女性差別撤廃委員会に拠出金をやめるという動きがあるなかで、ヌエックの宿泊棟の廃止について、座視していることはできない。ということで、日本がどれだけひどいかということをお話ししようと思ってきたわけです。
皆さんもご存知かもしれませんけれども、日本は1960年から80年代つまり高度経済成長期から、その後の安定成長期で、「戦後日本型循環モデル」というへんてこな、非常に世界的に見ても特殊な社会システムが作られて、教育・仕事・家族の間をぶんぶん回るような循環構造が出来上がったわけなんです。この社会システムの中に「男が働き女は家族へ」っていうことが完全に組み込まれていたっていう経緯があります。
このシステムは、90年代以降、現在に至るまで壊れていて、様々なところがボロボロになってきて、見渡せば日本社会問題は山積みです。「男は仕事、女は家族」、その他にも、例えば東京大学も女子が少ないとか、理工系に女子が少ないとか、いろんなところでジェンダーギャップが色濃く残っているという非常につらい状態にあります。社会が非常に高齢化してしまっているのは、結局のところ女性の権利であるとか、子どもを大事にすることがおろそかにされてきた中で、少子化が発生してしまってるということなんですね。国の成り立ちが人口的にも危うくなってるっていう危機的な状況であります。
日本社会は問題だらけですね。家族作れない、少子高齢化、格差や貧困、保育や教育や社会保障制度や労働政策などが全然整備されていない。経済がぐだぐだ、スキルが生かせない、非正規は賃金が低くて不安定である、特定の家族像や生き方を強要してくるような動きが政府の中に色濃い。人々の中にも自己意識・社会意識・政治意識が非常に低いという状況が繰り返し観察されます。自己責任だ、受益者負担だと言って、政府から「辛いやつは勝手に死ね」的なメッセージがどんどん降り注いでくるような状態にあります。この諸問題の中に黒々と横たわっているのがジェンダーギャップです。
日本のジェンダーギャップがどれほどひどいか、データで見ると、家族の分野では、日本の男性は吐き気がするぐらい家事をしません。もうどんな世代でもそうです。政治分野、これも吐き気がするぐらい日本は女性議員が少ない。かつ非常に議員の年齢が高いんです。国際比較した上でデータを見ると、国会議員のなかに本当に高齢男性が多くて、その発想でいろんなことが決められてしまってるというのが日本の変わらなさの根源にあるんです。
管理職でも女性がめちゃめちゃ少ない。社長お医者さんもです。こういう極端な状態、本当によろしくないっていう例がいっぱいあります。教員とかであれば女性が働けるんじゃないかとお考えかもしれませんが、国際比較で見ると全然少ないです。特に校長が少ないし、男女の賃金格差が非常に大きい国の一つです。同じ継続年数であっても男女間で、同じ正社員の中でも給与額に差がつく。女性かつ非正社員になるとさらにガクッと下がるっていうように、何十にもバリアがあって、女性が経済的に戦力アップしにくい状態が作られてる。ハラスメントも受けている。
こういう状況の中で労働市場に非常に疎外されているので、貧困率を見ると、どの国でも女性の方が高いんですけれども、日本は全体的に高いうえに女性の方がさらに高いということが言えます。日本の女の子たちは数学や化学の成績は世界トップクラスなのに、それでも理工系にきてくれないんですね。「女の子はね、やっぱりね」っていう言葉が社会にしみ通っていることによって、女の子が「やっぱりか」と思って進路を決めてしまってるっていうことがあります。
これから目指していく社会は、家族と教育と仕事の関係を組み替えていく必要があって、その中で男女共同参画はめちゃくちゃ大事な要素なんです。ジェンダー平等が喫緊の、目の前の、巨大な課題であるような日本社会において、ヌエックのような、象徴的にも機能的にも、女性の参画ということを牽引してきた施設が簡単に撤去されてしまうっていうことは、やっぱり許しがたい状況だと思います。いろいろ意見が乱れ飛んでいるという状態がありますけれども、「機能強化」の実像が、具体像がはっきり見えない状態で、その言葉だけ掲げられて、「機能強化だから撤去してもいいんだ」みたいなことで丸め込まれるわけにはいかない状態にあると思ってますので、この運動は絶対にしなければならないと考えております。