2/5院内集会へのメッセージ

池田政子さん(山梨県立大学名誉教授)
2021年、山梨で、県立3館の男女参画推進センターのうち、2館を廃止し、1館に統合するという問題が起きたとき、まさに今のヌエックの研修棟宿泊棟の撤去、廃止方針と同じキャッチフレーズ「ハードからソフトへ」そのままの理由を知事が掲げて、正当化の根拠にしました。今回のヌエックのいわゆる機能強化についてのワーキンググループの報告書では、今後オンラインを活用した研修などの事業実施の更なる増加が見込まれる中で、研修等や宿泊等といった施設のあり方について検討するとのことです。オンラインの授業の増加は、いわゆる地方と呼ばれる地域(山梨もそうですが)の移動しにくい女性たちに学習の機会を広げるという当然のことであって、これはハード、つまり施設を研修棟や宿泊棟をなくすことのバーターになるものではありません。コロナ禍によって、私達は人々が集って、リアルな体をお互いに感じながらの意見交換やお喋りがどんなに大事かを痛感したはずです。既に何人もの方がおっしゃっているように、ヌエックは、全国から女性たちが集まってのそういう場であったからこそ、地域のセンターとは別の存在意義があったのだと思います。また、施設は単なる建物ではありません。建物の中に、情報を収集管理保存し、必要な人の利用に供することができ、また発信できるスタッフがいる。人と人を繋ぎ、新たなネットワークを作る意思を持つ、現在的、将来的課題を掴んで女性たちのニーズに合わせた学習機会を企画提供できる、そういうスタッフがいる。その他もろもろの意欲やスキルを持った常駐のスタッフがいて、初めて施設と言えるのだと思います。山梨では、女性たちが連携して統廃合見直しの運動をし、全国の皆様からの応援もいただいて、サテライトルーム的なものは確保しましたが、とてもセンターとはいえないものになりました。現在、山梨では、このときの女性たちの連携をさらに広げて、女性差別撤廃条約の選択議定書の批准を政府に求める意見書を市町村議会から出してもらう取り組みを進めています。国連の女性差別撤廃委員会から80にも及ぶ勧告を受けた日本のジェンダー不平等な現状を改善していくためにも、全国の女性たちのアクションに繋がる学び合う場を失うことなく、今まで以上に強化するよう求めたいと思います。今日、同じ思いを持って集まった皆様に心からのエールを送ります。

二瓶由美子さん(福島大学 非常勤講師)
子どもたちが小学生だった頃、私は専業主婦でした。長男が就学し、PTA活動をすることになったのですが、東京杉並で生まれ育った私にとって、福島の田園地域のPTAは時代遅れそのものでした。会長は地域の名士(もちろん男性)が順送りに就任し、母親たちが手足となって学校に奉仕するのがPTA活動でした。長女が就学する頃には湧き起こる疑問を言葉にして改革を提言していました。そんなある日、母親たちから「会長になって」と頼まれました。福島市内の公立小中学校は71校ありましたが、女性のPTA会長は私1人で、改革の実践について、大会などで発表しました。ある日、福島市教育委員会からヌエックでの文部省(当時はまだ文部省でしたね)主催の男女共同参画社会に向けての2泊3日の研修会に参加してほしいという依頼を受けました。◯◯さんの奥さん、××ちゃんのお母さん、と呼ばれる毎日に疑問だらけだった私は義父母に留守番を頼み、嵐山に向かいました。嵐山は、全国から集まった多様な背景を持つ男女で熱気にあふれていました。講師の人たちも魅力的でした。詩人の伊藤比呂美氏は家族のあり方に疑問をぶつけ、育児連の代表は、男も育児を!と、育児休暇の必要性を訴えました。家事育児を妻に任せっきりでいた新聞記者は、妻が上の2人の子どもを残して、末っ子と出て行ってしまった後の生活を語り、テレビプロデューサーは、高速道路から降りて日常を見直す日々を伝えました。夕食時のレセプションではゲイであることを表明している高校教師と言葉を交わしました。全てが新鮮でした。社会が男女共同参画社会構築に向けて動いていました。そのときのヌエック研究員の推薦で、子どもの居場所作りに関する調査プロジェクトのメンバーに加わり、研究者たちとの共同作業を経験したことは、後の進路に繋がりました。その後、文部省の生涯学習審議会委員に就任する機会にも恵まれ、会議後にメンバーの藤原房子氏、有馬真喜子氏にはカイロ人口開発会議の報告会などに連れて行っていただき、たくさんの示唆を得ました。同時に、そうそうたるメンバーの中で、私にできることは、自らがリカレント教育の当事者になることだと、大学院に進み、修士後は子どもたちに祝福されて、短期大学の教員としてスタートしました。もしヌエックでの体験がなければ、私はこんなにも豊かな人生を歩むことはなかったと思います。ダイナミックな学びと出会いの場であるヌエックから始まったジェンダー平等への道を閉ざしてはならないと強く思っています。

森本由美さん(北九州市議会議員/全国フェミニスト議員連盟世話人
1997年6月、東京から北九州市立女性センターMOVEを運営している財団法人アジア女性交流研究フォーラムに転職した私は、国立婦人教育会館ヌエックで同年8月に開催された女性学・ジェンダーフォーラムに、研修の一環として派遣されました。そこで、たまたま参加した女性と政治のワークショップで、先進国の日本で女性議員があまりにも少ないことを知り、衝撃を受けました。その後、日本で女性議員を増やすことが自分の使命だと考えるようになり、翌1998年7月、北九州市で女性が政治や選挙を学ぶ団体、メインストリーミングウィメンを立ち上げ、北九州市内で学習会や政治スクールを開催しました。また毎年ヌエックの女性学・ジェンダーフォーラムでワークショップも開催し、全国から集まった多くの女性の皆さんと交流することで、活動を継続するエネルギーをもらいました。この活動がきっかけで、政党から立候補を要請され、女性に立候補を進めている自分が断ってはいけないと決意し、2000年6月の総選挙に立候補し落選。翌2001年1月末の北九州市議選で初当選し、現在7期目となります。今もなお、ジェンダー平等社会の実現と女性議員を増やすことは私のライフワークとなっています。もし私がヌエックの研修を受講していなければ、おそらく私は議員になっていなかったと思います。今後も多くの女性がエンパワーメントしたり、全国の女性同士で繋がる拠点施設としてヌエックには存在していただきたいです。