文筆家の栗田隆子さんのメッセージです。著書『ハマれないまま、生きてますーーこどもとおとなのあいだ』(創元社)にも、栗田さんと女性センターのかかわりに触れた文章が収録されています。
私は10代の頃、学校で居場所がなく、不登校をしていました。その頃、私は江ノ島の中のかながわ女性センターに通っていました。図書館で本を読み、ラウンジに座って景色を眺め、そしてロビーに置いてあったチラシで紹介されていたフェミニズム講座に参加し、フェミニズムと出会いました。それはただ役所の中に男女共同参画課があれば為せることではないと思ってます。普段の生活で居場所や言葉を求めてやってくる人は相談だけを求めていません。ゆっくり座ることができ、本を読み、散歩し、なんとなく会話をし、体を動かせるといったことを求めている場合もあります。そういう広い意味でのニーズに応えることは立派な社会教育を行なっているのではないでしょうか。
3/29-30にNWECについて学ぶために、宿泊しました。こちらの研修棟や宿泊棟を解体してしまう計画があることはとても残念なことと思いました。今後の女性教育、社会教育の見地からも危惧を覚える選択です。
即刻中止、あるいは見直しを検討していただきたく存じます。以下理由を申し上げます。
※そもそも宿泊施設を兼ね備えた公的施設は少なく資金のあまりない(そこには多くの女性が含まれる)団体が、宿泊で学習会や研修などをする際のインフラとして素晴らしいヌエックは素晴らしい場所だからです。まさに社会教育としての教育を受ける権利、あるいは集会の権利を担保するために具体的な場所が存在するのは大事なことと思います。
※また、ただ部屋があるのみならず茶室や和室、スポーツなどする場所も広い意味で女性の教育に必要なものです。少なくとも文科省ではそのように考えられてきました。またスポーツ分野などは女性は排除されてきた歴史があります。そのようなレクリエーションも含めて社会教育のはずです。
※またここはラウンジや談話室などのスペースがふんだんにあります。居場所づくりという言葉がありますが、人々が気軽に話をできる場は文化の向上に役立つものです。それはカフェ文化などでも理解できるもののはずです。
※国立女性教育会館ホームページの沿革によれば昭和52年7月、文部省の附属機関として「国立婦人教育会館」が設置されたとありますが、宿泊棟は今の言葉でいうバリアフリーが行き届き、車椅子で入れる風呂もあり、また車椅子用のトイレも男女で分かれているなど極めて先進的な作りになっています。今なお日本ではこれほどバリアフリーが徹底された場所はあまりありません。女性の中には当然障害を持つ人もいます。そのような立場で学ぶ場所としてとてもふさわしく、また社会はこうあるべきというモデルとしての機能も果たしているはずです。それを壊すのはあまりに惜しいと考えます。
※さらにこのような場所であることからデンマークから障害者と健常者を分けずに育てるという理念を持つ教育団体もここを宿泊施設として利用していたと聞きました。ご存知の通り空港からバスで一本で来れる場所として、国際的なアクセスも考えられた場所にあるということも重要な意味があると思います。
何卒ご一考ください。国立女性教育会館は素晴らしい場所です。