<分析>国立女性教育会館は何を目指してつくられたのか

国立女性教育会館は何を目指してつくられたのか
―設立準備委員会第1回〜第5回の記録からー

(酒本絵梨子)
国立女性教育会館の宿泊棟や研修棟の撤去、オンライン化の推進といった「見直し」が進められようとしているが、この動き、何に向かっているのかが見えてこない。
それは、「どこに向かうか」という将来的な構想をともなった改革ではなく、単に「古いから」「維持費がかかるから」「オンラインでもできるから」といった、断片的な理由の積み重ねで推し進められている。「何を実現したいのか」という目的や理念の不在こそが、多くの人にとって、漠然とした不安ではなく、明確な違和感、あるいは強い不信感となって立ち上がっているのではないだろうか。
本来、公共の教育施設は、目先の効率性や収支で判断されるものではなく、どのような社会を目指すのかという理念によって支えられるべきである。そうであればこそ、私たちは今、原点に立ち返る必要があるのではないだろうか。国立女性教育会館は、いったい何を目指して設計され、設立されたのか。そこに込められた理念とは、どのようなものであったのか。
1971年から72年にかけて「婦人教育会館準備調査委員会」が開催されていたことが調査するとわかった。その記録からは、今日の議論にはほとんど見られない、思想と実践に根ざした教育の構想を丁寧に、そして熱をもって語られていたことが伝わってくる。
今回は、その第1回から第5回までの記録をもとに、設立当初に描かれていた理念と空間構想を整理してみた。

婦人教育は、女性だけを対象とするものではなかった

第1回の委員会からすでに、婦人教育の対象を女性のみに限定すべきではないという視点が提示されていた。
「現代は、むしろ『男性』に問題があるのではないか」(第1回記録より引用)
これは、婦人教育を家庭内の技能習得にとどまらせるのではなく、性別にかかわらず社会全体の意識変容を促すものとして再定義しようとする試みである。 このような包括的かつ変革的な視点は、当初から委員会内に共有されていた。

「人間性の回復」としての教育―自然と生活に根ざす学びの空間の構想

施設構想においては、「都市型の利便性」よりも、人間同士の関係を再構築し、人間性を回復する場としての価値が繰り返し強調されている。
「豊かな自然のなかで、人間性を回復する必要があるのではないか」(第3回記録より引用)
また、学びを「宿泊を伴う滞在型の対話」として捉える視点も共有されていた。
「都市型で、かつ、日常的利用形態でありながら宿泊施設をもつ場をつくってほしい」(第2回記録より引用)
委員たちは、知識の伝達だけではなく、生活や交流、対話によって育まれる教育空間の必要性を強く意識していたことがわかる。

国際的な連携拠点としての会館構想

会館の役割は国内にとどまらず、国際的な学びの拠点として構想されていた。第2回・第3回の議事録では、同時通訳設備の整備や、国際会議・研究交流への展望が語られている。
「同時通訳の設備があるような国際的会館、情報センターを考えていただきたい」(第2回記録より引用)
「世界一のアイディアをだしつつあるのではないかと思う。要は、世界のアイディアを実現できるように気長に努力することである」(第3回記録より引用)
暮らしを共有する中での深い相互理解が必要であると指摘されている。
さらに第4回では、表層的な異文化紹介ではなく、
「2DK〜3DKの日本的住宅を体験してもらうだけでは、本質的な交流にはならない」(第4回記録より引用)

「収益化しないこと」は設計思想の中核だった

特筆すべきは、第5回における地方婦人会館の調査報告である。多くの地方会館が結婚式・宿泊事業などの収益事業に依存し、理念と運営の乖離に悩んでいた実態が明らかにされた。この問題を受け、国立施設は営利を目的とせず、理念を守るために国が支えるべきであるという認識が、委員たちの間で明確に共有される。
「民間団体に運営させることは、そもそも無理ということになる」(第5回記録より引用)
「結婚式を行うわけにもいかない、宿泊で利益を上げるわけにもいかない。だから赤字になるのは当然だ」(第5回記録より引用)
「主体はどうであれ、相当な国からの資金がなければ満足の得る運営はできないのではないか」(第5回記録より引用)
つまり、「収益を上げること」が設計の前提に置かれていたわけではなく、むしろ「赤字になることを前提とした公共教育施設」であることが明言されていた。

理念に照らした政策判断を!

1970年代初頭、国立婦人教育会館は、教育の主体性、人間性の回復、生活に根ざした学び、そして国際的な対話と共感の拠点として構想されていた。
こうした理念に照らすと、施設撤去やオンライン化、収益化といった現在の方針は、慎重に検討されるべき歴史的・教育的背景を持っていることがわかる。
過去の議論に耳を澄ますことは、理念の継承だけでなく、未来の公共教育の在り方を問うための重要な手がかりとなる。
※引用はすべて、「婦人教育会館準備調査委員会記録」(第1回~第5回、1971–1972年)より。